マーラー 交響曲第1番 第一楽章 を徹底調査!(楽譜・音源付き)

こんにちは、H. Châteauです。作曲家のグスタフ・マーラーをご存知ですか?1800年代後半に活躍した作曲家・指揮者で、9つの交響曲やたくさんの歌曲を作りました。日本ではクラシック好きには知られていますが、クラシックに興味がないとほぼ名前も曲も知られていない作曲家かと思います。そのあたりはいつかマーラーという作曲家の詳細な記事を掛けたらいいなと思いますが、今日は彼の交響曲第1番通称”巨人”と呼ばれている曲の第一楽章について徹底的に調査しましたので記事にしてみました。 調べてみると、今まで漠然としていた楽曲の主題等の構成や引用された曲から来る解釈がはっきりと形を帯びてきましたので、もしマーラーの第一楽章が漠然として分かりにくいと思っていた方は是非お読みください。

注意

  • とにかく記事が長いため、覚悟をお願いします。
  • 出典のサイトや参考とした楽譜も掲載していますが、一般的に言われていない内容も多分に含みますので、正確性についてはご自身でご判断願います。
  • 掲載してある動画や楽譜の量がとてつもなく多いため、PCで見ることをお勧めします。PC以外だと画像のレイアウトが崩れる可能性があります。
  • 掲載されている楽譜は切り抜いているため、スコアをお持ちの方はスコアを見ながら読んだ方がわかりやすいと思います。 

本当は全楽章で1つの記事にする予定でしたが、一楽章だけでものすごいボリュームになりましたので、今後2~4楽章を別の記事でまとめていく予定です。また、新しい情報を入手次第この記事もブラッシュアップしていきます。どうぞご覧ください。

交響曲第1番を読み解くうえで必要な情報

本来ならばマーラーの生い立ちから調査した方が彼の楽曲を理解する手助けとなるのですが、彼の人生を纏めるにも情報量が膨大なので、重要な部分だけ抽出したいと思います。

オーストリア生まれのユダヤ人

マーラーは1860年7月7日にオーストリア帝国ボヘミアのイーグラウ(現チェコ・カリシュト村)で生まれました。ユダヤ人の両親から生まれた彼は生涯通して「ユダヤ人」という意識がずっとついて回ったようです。

19歳の若きマーラーは、自分のことを「神秘的なさまよえるユダヤ人」と捉えていました(マーラーの生涯より)。この時点ではユダヤ人であることに肯定的な捉え方をしていたのかもしれません。しかし一方で、20歳頃からマーラーは反ユダヤ主義で有名だったリヒャルト・ワーグナーWikipedia リヒャルト・ワーグナー 人物参照の崇拝者にもなりました。

彼は指揮者として成功していきますが、時代は世界大不況にあり反ユダヤ主義も高まっていった頃です。さらに、第一次世界大戦の背景となる事象が起こっていて、社会情勢が不穏な頃でした。マーラーは人生で様々なオーケストラを指揮することになりましたが、ユダヤ人ということでオーケストラメンバーから反発を受けたこともしばしばあったようです(Wikipediaより)。

36歳にウィーン宮廷歌劇場監督就任への障害を取り除くためにユダヤ教からローマ・カトリックに改宗しました(伊勢管弦楽団参照)。後年「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として」という言葉を残したと伝わっています(この言葉は妻だったアルマ・マーラーの証言によるものだそうです。ただし、アルマ・マーラーの証言については信憑性が定かではありません。Wikipedia アルマ・マーラーの「証言」参照)。

ユダヤ人であることは当初はアイデンティティだったのかもしれませんが、崇拝者が反ユダヤ主義だったり、オーケストラで人種差別を受けたり、就任のために改宗しなければならなかったように、マーラーはユダヤ人であることが人生を通じて影響していました。交響曲第1番第3楽章は反ユダヤ主義を暗示しているのでは、という解釈もあったりします。

なお、上記の写真は1892年(32歳)頃のようです。マーラーにはデスマスクもありますので、ご覧になる場合はこちらのサイトへどうぞ。

さすらうマーラーと交響曲第1番への歩み

<1875~ウィーン時代>

現在のウィーン大学

オーストリア帝国イーグラウで生まれたマーラーですが、1875年(15歳)からの青年期はオーストリア=ハンガリー帝国(1867年にオーストリア帝国から改組)のウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)、1877年(17歳)からはウィーン大学で学び(この頃学友ハンス・ロットや先生ブルックナーに出会います)、作曲賞を得るほど才能がありました。1880年(20歳)にカンタータ「嘆きの歌」(交響曲第1番にもフレーズが使われています。)を作曲し作曲コンクール「ベートーヴェン賞」に応募するも、ワーグナーの先を行くような斬新な表現で、反ワーグナー派のエドゥアルド・ハンスリックやブラームスの反対により落選しました(Wikipediaより)。この落選により、マーラー曰く「演奏者にも聴衆にも分かりやすい」交響曲第1番の作曲に向かうことになります。なお、この前後に、王立郵便局長の娘ヨゼフィーネ・ボイスルに恋をするも失恋しており、その頃に作曲された曲も交響曲第1番で使われることになります。

<1883~カッセル時代(「交響詩」のスケッチを開始)>

1900年頃のカッセル王立劇場

1883年(23歳)、ドイツ(当時ドイツ帝国)のカッセル王立劇場(ドイツ語Wikipedia)の副指揮者になりました。同年、音楽祭でベートーヴェンの第9を指揮し、指揮者として成功します。1884年(24歳)、当時ワーグナーの指揮で名声を得ていたハンス・フォン・ビューローに弟子入りを志願するも断られます。また、この年に交響曲第1番の前身となる「5楽章の交響詩」(以下、「交響詩」)のスケッチを開始しました。このカッセルでは王立劇場ソプラノ歌手ヨハンナ・リヒターおそらくマーラーと同い年の金髪青眼美女)と恋をしています(失恋)。彼女との恋(と失恋)が原動力となって作曲されたさすらう職人の歌(通称さすらう若者の歌)は、ヨハンナ・リヒターへの熱くも報われない自分の恋を曲にしたものと解されています。1884年に作曲を開始し1885年(25歳)の1月に完成したこの曲のフレーズは、「交響詩」(交響曲第1番)にたくさん引用されています。

<1885~プラハ時代>

現在のプラハ国立歌劇場

1885年(25歳)、チェコ(当時オーストリア=ハンガリー帝国)はプラハのドイツ劇場(現プラハ国立歌劇場)の首席指揮者となります。

<1886~ライプツィヒ時代(「交響詩」の作曲)>

現在のライプツヒィ歌劇場

1886年(26歳)でドイツ(当時ドイツ帝国)ライプツィヒ歌劇場の副指揮者を務めることになりました。このライプツィヒでは、ウェーバーの孫の夫人マリオン・ウェーバーに出会い恋に落ちますが、駆け落ち寸前で終わります。この恋で作曲した曲も、「交響詩」に使われることとなります。1887年(27歳)に「交響詩」を作曲し始め、1888年3月(27歳)に完成します。

<1888~ブダペスト時代(「交響詩」第1稿の初演)>

現在のハンガリー国立歌劇場

1888年10月(28歳)、ハンガリー(当時オーストリア=ハンガリー帝国)のブダペスト王立歌劇場(現ハンガリー国立歌劇場)の芸術監督を務めることになりました。1889年11月に自身の指揮でブダペスト・フィルハーモニー交響楽団によって初演されました(なお、失敗だった模様)。このときは2部構成5楽章の交響詩として発表し、現在では「第1稿(ブダペスト稿)」と呼ばれています。なお、楽譜は失われており現存していません。

<1891~ハンブルク時代(「交響詩」の再演(第2稿)、交響曲第1番へ)>

1890年頃のハンブルグ歌劇場

1891年4月(30歳)、マーラーはドイツ(当時ドイツ帝国)のハンブルク歌劇場で芸術監督となりました。この後1897年まで務めます(なお、1894年~1896年に指揮者ブルーノ・ワルターが部下にいました)。1893年1月(33歳)、マーラーは「交響詩」の再演に際して「交響詩」の第2楽章「花の章」を削除しようと考えましたが8月には撤回し、改訂して5楽章構成のまま標題をジャン・パウル小説「巨人」からとり、「交響曲様式による交響詩『巨人』」として10月に再演しました。これが「第2稿(ハンブルク稿)」といわれるものです。どうやらこれも失敗だったようで、さらに改訂し、1894年7月(34歳)にワイマールで再演します。これは「第2稿(ワイマール稿)」といわれています。なおこの年の12月には交響曲第2番が完成しておりました(合唱なしの1~3楽章は1895年3月に同楽団によって初演されました)。1895年12月には交響曲第2番が全楽章ベルリンフィルによって初演されることとなり、正式な「交響曲」としてのタイトルでは第2番の方が先となります。

1896年3月(35歳)にドイツ帝国ベルリンにて、「花の章」を削り標題も全て取り払い4楽章構成にした上で4管編成に増強し「交響曲第1番」として演奏しました。これが現在一般的に演奏されるマーラーの「交響曲第1番(第3稿)」です。1899年にはヴァインベルガー社より「交響曲第1番」として出版されました。

<まとめ>

以上のように、マーラーは若いころから指揮者及び作曲者として才能があり、様々な地域をさすらいながら指揮者としての才能を磨きつつ、各地で様々な恋をし、失敗してきたこともうかがえます。まさにマーラー自身が「さすらう職人」といえるでしょう。交響曲自体はジャン=パウルの小説「巨人」に触発され、さながら「交響曲が小説のよう」にストーリーがあるともいわれますが、そのストーリーの主人公は引用した「さすらう職人の歌」の主人公、つまり作曲者本人かもしれません。

交響曲第1番になるまで「交響詩」として発表されていたり複数の版があったりしてややこしいですが、マーラー自身としては当初から交響曲のつもりで作曲していたようです。一部では現在も「当初交響詩として作曲し、後に交響曲に改定した」と思われていますが、書籍(書籍名忘れました)によればマーラーの手紙の中では「交響詩」を一貫して「交響曲」と呼んでいたらしいからです。実際楽曲を分析してみると、5楽章構成がベートーヴェンの交響曲第6番(田園)やベルリオーズの幻想交響曲に倣っている可能性が高く、楽曲のテーマとしても田園の「自然」や幻想交響曲の「自身の恋愛体験」に倣っていると見られます。さらに、楽曲内にベートーヴェンの第4番、第6番、第9番、ベルリオーズの幻想交響曲等さまざまな歴代作曲者の名曲にインスパイア・引用・オマージュされた箇所があることからも、当初から交響曲として作曲していたことは想像に難くないでしょう。

参考:マーラーの生涯

マーラーとベートーヴェンの後継者達

マーラーがこの交響曲のテーマに「自然」を据えていることは全楽章を読み進めていくとわかってきますが、L.v.ベートーヴェン交響曲第6番(田園)に影響を受けていることは間違いありません。事実、カッコウのモチーフだけでなく他の鳥の声のモチーフも取り入れていますし、どの楽章にもマーラーなりの「自然」や「田舎」のモチーフを取り入れています。

マーラーはこの交響曲第1番でベートーヴェンをオマージュしているだけでなく、ベートーヴェンの交響曲も編曲しています。ベートーヴェンの交響曲第3番(編曲年不明)、第5番(不明)、第7番(不明)、第9番(1895年編曲版初演)だけではなく、弦楽四重奏第11番「セリオーソ」Youtube)も編曲(1899年編曲版初演)しているようです(以上Wikipediaより)。また、交響曲第1番の後の時期の話ですが、ベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」にレオノーレ序曲第3番を入れる(Wikipediaより)などベートーヴェンの解釈と発展に大きく寄与しています。このように優れた指揮者でありベートーヴェンに触れる(ベートーヴェンを振れる)機会も多く、音楽祭で第9を演奏して評価も得ていたことから、ベートーヴェンに対する思いもあったことでしょう。実際、マーラーとその先生ブルックナーを「ベートーヴェンの伝統の後継者」と見る意見もあるようです(教えてgooより)。

 

しかし、一般的にベートーヴェンの後継者といえばJ. ブラームスが一番に浮かびます。当時、楽壇はブラームス派とワーグナー派に別れておりブラームス交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲第10番」といったのは指揮者のハンス・フォン・ビューロー(ピアノをカール・ツェルニーの弟子のリストに学ぶ。ツェルニーはベートーヴェンの弟子なので、ビューローはベートーヴェンのひ孫弟子にあたります。)で、ブラームスを「ベートーヴェンの正統な後継者」といったのは、反ワーグナー派でブラームスを担ぎ上げていた批評家のエドゥアルド・ハンスリックでした。ベートーヴェンの後継者を誰と考えるかというのも、この楽壇の争いに巻き込まれていたのです。対してR. ワーグナー自身は若かりし頃ベートーヴェンにいたく感銘を受けたようで「自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだ」と公言し(Wikipediaより)、ブラームスとは犬猿の仲だったということです。ワーグナー自身もベートーヴェンを崇拝し、同時に超えなければという思いがあったでしょう。

このように、当時作曲家たちはベートーヴェンを超える音楽を作らなければ!との思いがあり、ベートーヴェンを受け継いで超えるのは自分だ!と思っていた人(ワーグナーしかりブラームスしかり)も多かったのですが、指揮者や批評家が「ベートーヴェンの系譜はこの作曲家(ブラームス派)だ!」みたいに決めて、アンチ派(ワーグナー派)を正統とは認めないような争いが多かったようです。マーラーが現在一般的にあまり有名でないのも、それが一因にもあったでしょう(もちろんユダヤ人云々も影響しているでしょう)。

マーラーはワーグナー信奉者のブルックナーに教わり、自身もワーグナー派でもありましたので、ベートーヴェンを超える曲を目指していたのはおよそ間違いないと思われます。ベートーヴェンの後継という自負も抱いていたかもしれません。実際、友人ナターリエ・バウアー=レヒナーの「グスタフ・マーラーの思い出」にはマーラーのベートーヴェン評が複数あり、「ベートーヴェンのような天才、彼ほど高尚で広い包括性を持った天才は100万人の中に2,3人くらいだ」というような言葉を残しています。

マーラーは若い頃ハンス・フォン・ビューロー(当初ワーグナー派。30代半ばに妻をワーグナーにとられ、後にブラームス派となります。)に弟子入り志願をするも断られ、エドゥアルド・ハンスリックには初期のカンタータ「嘆きの歌」を賞から落選させられた経験からも、超えなければという思いを抱いた可能性も否定できません。

当時のドイツでは音楽(交響曲)は崇高なものであるべしという意識があったようで、パロディや俗的な音楽を使うことは異端されており、様式美も求められていました。その点からすると、マーラーの交響曲はパロディだらけ、俗的な音楽だらけ、様式の逸脱ばかりで、当時の保守派からは忌避されていたのもあるかもしれませんが、ベートーヴェンこそ今までの音楽からの逸脱を何度も繰り返してきた人物なので、マーラーもそういった様式美や保守的な考えからも逸脱すると解釈してベートーヴェンを超えようとした可能性もあります。

晩年、マーラーは「ベートーヴェンやブルックナーが交響曲第9番を完成させた後、交響曲第10番を完成させることなく死去したことから、交響曲第9番を作曲すると死ぬ」というジンクス通称「第九の呪い」を恐れて交響曲第8番の完成後の曲を「交響曲」を冠さずに「大地の歌」とした、という通説が残るほどベートーヴェンを意識していたようでした(なお、マーラーは第9番を作曲後第10番を完成させられずに死去しているのでジンクスは完成しています。)。

マーラーとベルリオーズの影響

マーラーがH. ベルリオーズにどれだけ影響を受けていたかを考察したサイトはほとんど見つかりませんでしたが、十分に影響を受けていたと思われます。マーラーの交響曲第1番はもともと5楽章構成でしたが、それ以前に5楽章交響曲を作っていたのはベートーヴェン交響曲第6番のモチーフとなったクネヒトの「田園交響曲」、ベートーヴェン交響曲第6番、ベルリオーズの幻想交響曲、チャイコフスキー交響曲第3番くらいでした(そもそもベルリオーズはベートーヴェンに影響を受けていますが。)。しかしそれだけでなく、ベルリオーズは「管弦楽法」というオーケストレーションの理論書を残しており、これが後続の作曲家に多大な影響を与えました。この「管弦楽法」はワーグナーにも影響を与えていましたので、ワーグナー崇拝者だったマーラーも興味を持ったことでしょう。実際、マーラーはこのベルリオーズの理論書を研究していたようです(Wikipedia エクトル・ベルリオーズ著作より)。なお、この「管弦楽法」は後に同世代の指揮者・作曲者で、マーラーの友人で良きライバルでもあったリヒャルト・シュトラウスにより補筆されています(日本語版もあります)。

ベルリオーズの幻想交響曲との類似点は5楽章構成というだけではありません。幻想交響曲自体が作曲者の恋愛体験を題材とした標題音楽Wikipedia幻想交響曲 概要より)で、全楽章に標題がついていますが、マーラーの5楽章交響詩も標題がついていただけでなく、自身の恋愛体験(さすらう職人の歌)の引用が多いことがあげられます(NHKの解説も参照。)。さらに幻想交響曲には語り手と合唱付きの続編のレリオがあるのですが、マーラーも合唱付きの交響曲第2番を第1番の続編と捉えている様子がある(Wikipedia交響曲第2番マーラーによる解題初演))等の類似点も見られます。また、マーラーの交響曲第1番第3楽章(5楽章交響詩時は第4楽章)には明らかに幻想交響曲第5楽章からのインスパイアがあります(EsCl, col legno等)。

ちなみに、ベルリオーズが自身初の交響曲「幻想交響曲」を作曲したのは27歳のときでした。マーラーが交響曲第1番(交響詩)を作曲しはじめたのも同じ歳のときでしたので、意識していたかもしれません。マーラーは、偉大な先人達をインスパイアしつつも、楽曲の構成・管弦楽法・標題性についてベートーヴェンやベルリオーズを超えるものを模索していたのかもしれません。

マーラーとブルックナー

マーラーはウィーン大学でA. ブルックナーに和声等を教わっていますが、1877年に初演されたブルックナーの交響曲第3番を聴き、聴衆から支持されない中マーラーは支持して会場に残っていたともいわれています。そのくらいマーラーはブルックナーを支持していたといえるでしょう。マーラーとブルックナーの間ではたくさんの手紙がやりとりされていたようで、生涯を通じて親交があったことがうかがえます(Gustav-Mahler.euより)。

なお、マーラーはブルックナーについて次の言葉を残しています。「私はブルックナーの弟子だったことはない」Wikipediaより)。これについては、ブルックナーを批判しているというよりは「私とブルックナー先生は師弟関係というようなものではない(もっと強い絆で結ばれた「同志」であった)!」という解釈(Yahoo!知恵袋より)の方が実際に近いのではないでしょうか。マーラーを調べていくとブルックナーへの敬意が様々な場面で現れますし、マーラーの妻だったアルマも「マーラーのブルックナーに対する敬愛の念は、生涯変わらなかった」と記していることからも、ブルックナーを尊敬していたことがうかがえます。ナターリエ・バウアー=レヒナーの「グスタフ・マーラーの思い出」にはマーラーの弟オットーとのブラームスとブルックナーに関する会話が含まれており、そこには「作品の形式的には完結性や多作性等ブラームスの方が偉大なのは疑いない。ブルックナーは創造力の大きさや豊富さに魅了されるが断片的なまとまりのなさが気になる。それでも、ブルックナーをどれだけ尊敬しているかはおまえ(弟オットー)もよく知っているだろう。ブルックナーが正当に認められないのは本当に嘆かわしい。」(意訳)という言葉が残されています。

オーケストレーションへの影響は、金管楽器の重厚感や交響曲の長さなどはブルックナー譲りと考えられます。マーラーが支持したブルックナーの交響曲第3番を聴いてみると、おそらくトランペットの使い方等はマーラーに影響を与えたでしょう。この時代はトランペットは華やかなファンファーレの楽器として認識されていましたが、ブルックナーはあえて交響曲第3番第一楽章で弱音器をつけたトランペットの旋律で始まらせています(リブラリア・ムジカマーラー交響曲第一番)。マーラーも自身の交響曲第1番でトランペットにミュートを付けています。

その他の交響曲では、例えばブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」の冒頭ホルンは「朝に町の庁舎から一日の始まりを告げるホルン」を意図している(Wikipediaより)ようで、マーラーの交響曲第1番の冒頭も朝の風景(及びファンファーレ)を表していますから、何かしらインスピレーションを得たかもしれません。ヴァイオリンの第一主題はシジュウカラ(ヤマガラ?)のさえずりから取られているようですし、それはマーラーにとっては「カッコウ」になったのかもしれません。第3楽章の狩りのホルンなど、マーラーの第一楽章冒頭のクラリネットやトランペットのファンファーレに似ている気もしてきます。無論ブルックナー自身もワーグナーを崇拝していたため、ワーグナーの影響といってしまえばそうかもしれませんが…。

マーラーとハンス・ロット

マーラーには2歳上の学友に、ハンス・ロット(Hans Rott)という作曲家がいました。彼は今では無名ですが、先生だったブルックナーやマーラーからも天才と称されていた作曲家でした。交響曲は22歳という若さで書き終えるほどの早熟でした(Youtube)。ブルックナーからロットの影響は、交響曲が長いことだけでなく、交響曲がトランペットで始まっているところからもわかるでしょう。

マーラーはこのロットの交響曲について「私はよく分かっている。この作品が…誇張ではなく…彼を新しい交響曲の創設者へと押し上げたこということを。」という言葉を残したようです(大阪響より)。そしてそんなロットの曲を自身の交響曲に大いに参考にしたそうです。実際、ロットの交響曲第1番の第三楽章には、マーラーの交響曲第1番第二楽章(五楽章構成時は第三楽章)に類似している部分があります(つまりマーラーがオマージュ)。ロットの第三楽章はその後魑魅魍魎が跋扈するグロテスクな世界になる(エンターテイメント日誌より)ようですが、それもマーラーの第三楽章(五楽章中だと第四楽章)を彷彿とさせるかもしれません。また、マーラーの交響曲第一番にトライアングルが多用されていますが、これもハンス・ロットからの影響ともいわれます。ハンス・ロットの交響曲第1番には、くどいほどトライアングルが多用されています。

ハンス・ロットはマーラーと比べると精神的にだいぶもろかったようで、交響曲を指揮者のハンス・リヒターやブラームスに演奏してもらおうと持ち掛けるも断られ、さらにブラームスからは才能がないといわれた後には精神病に患ってしまいました。どの時代にも壊し屋はいるものです。結局精神病院に収容され、うつ病に陥り、自殺企図を繰り返したあと、1884年、25歳という若さで結核により亡くなってしまいました。

なお、マーラーの交響曲第1番の構想は1884年から始まっています。ちょうどハンス・ロットが亡くなった年と被るためマーラーは彼を意識したという意見(クラシック音楽帳より)や、第3楽章の葬送は彼をイメージしたのではという意見もあります(Romantic Classicより)。

マーラーの管弦楽法

マーラーの管弦楽法は、ウィーン楽友協会音楽院時代に和声を学んだロベルト・フックスや、対位法と作曲を学んだフランツ・クレン、そしてウィーン大学時代に和声を学んだアントン・ブルックナー譲りだと思われます。また、その他にも指揮をする上でワーグナーを研究していたり、ベートーヴェンやシューマンの楽曲を編曲した際にはそこからも学んだことでしょう。もちろんベルリオーズの管弦楽法からも学んでいたと思います。

作曲については友人のナターリエ・バウアー=レヒナーに次のように語りました。「作曲は石材を使った遊びのようなもの。同じ石からいつも新しい建物が生み出される。」マーラーがいろいろなモチーフを他の作曲者から拝借したり、自分の昔の作品から引用する根源的な考えを表しているといえましょう。

記譜法については「各声部のあらゆる種類の強弱記号を書き記すことにより、主要な部分が浮き上がり、伴奏が後退するようにしなくてはいけない。…私は演奏者の知性は当てにせず、声部を目立たせない様後退させたいならば必要に応じて奏者を減らす。力が大きく高揚する場合には全員を演奏に参加させるのだ。…音符と音符の隙間を表すには、スタッカートなどは使わずに音符と休符で詳細に表すのだ。」さすが様々なオーケストラを指揮してきた指揮者というべきか、誰が演奏しても意図した効果を得られるように詳細に記譜した理由がうかがえます(悪く言えば奏者を信用しなかった)。

楽器法については「例えばヴァイオリンを旋律を歌う部分や盛り上がるところではE線で、切々と響かせるところではG線で弾かせるようにしている、激しい感情を表現するところでは真ん中2線を使うようなことは決してない。それらの線はむしろ静かな、かすんだような、神秘的な部分にふさわしい。」というような細かいこだわりを見せています。音響効果をかなり意識したようです。

演奏法については「自分が演奏すべき曲は歌えなくてはいけない、という基準はすべての演奏に当てはまる。だから、弓や息の準備動作からしてすでにある種の歌ともいえる弦楽器や管楽器奏者は、ピアニストや指揮者のような店舗や旋律の演奏法を間違ったりしないのだ。」と説明しています。歌曲を中心とした作曲者ならではです。

交響曲第1番の管弦楽法については、伊勢管弦楽団によるとマーラーはナターリエ・バウアー=レヒナーに以下のように語ったようです。 「これは楽器の使用法から生じている。第1楽章では、楽器の固有の音色は、光り輝く音の海の背後に姿を消してしまう。ちょうど、光り輝く物体が、そこから発せられる光によって覆い隠されてしまうように。その後、〈行進曲〉では、諸楽器は偽装を施されたように見える。ここでは音響は、まるで幻影か亡霊が我々の前を通り過ぎるかのように、弱められ、和らげられていなければならない。カノンのそれぞれの入りを明確にし、その音色が人々を驚かせ、注意を惹きつけるようにするために、私は楽器法を非常に苦心した。私は、ついに、君が非常に奇妙で風変わりだと思った効果を得ることに成功した…。柔らかい抑制された音を出したいと思ったとき、私はそれを、その音を簡単に出せる楽器には任せず、努力して、強制されてやっと出せる楽器にゆだねる。その楽器の自然な限界を超えさせてしまうことさえしばしばある。こうして、コントラバスやファゴットは高音に喉をしぼり、フルートは低音で息切れするはめになる、といったことが起こるのだ。

この文章を読んだときに、なるほどそのためにやけに高いファゴットの音が出てくるのかと思いましたし、やけに低かったりやけに長すぎるフルートの伸ばしが出てくるのかと得心しました。「柔らかい抑制された音」を目指すために無理なことをさせているというわけです。なお、これと同じ考え方でオーケストレーションしている曲はラヴェル「ボレロ」が当てはまります。ボレロも、以上に高いファゴットや最低音域のフルートでメロディーが演奏されており、一聴しただけでは何の楽器か区別できない瞬間があったりしました。

 

それでは、以下よりマーラーの交響曲第1番第一楽章を読み解いていきます。

第一楽章

<解釈>

この楽曲にどんな意味があるのかを解釈するのは非常に難しいです。というのも、文学的・絵画的描写の意味もある「交響詩」から始まっており作曲者本人によって標題がつけられたりプログラムノートが書かれたにもかかわらず、演奏会ごと(第○稿ごと)に標題が変えられたり、最終的には「聴衆に誤解を与えていたことがわかった」(Wikipedia, Gustavmahler.com)として交響曲の時点で破棄されているからです。ただ、楽曲としては大きく変わっているわけではないため、少なくともどこかの時点でマーラーは「ここは○○っぽいな」と考えて標題にした可能性はありそうなので、破棄されたからといってすべてに意味を見出してはいけないということでもないと思います。

第一楽章について、もともとの交響詩(第2稿ハンブルク稿)では「Frühling und kein Ende(春、終わらず)」という標題がつけられていました。ドイツ語で「Kein Anfang und kein Ende.」が「始まりもせず終わりもせず」という意味なので、春が始まったらずっと続いているような、「終わらない春」「果てしない春」という意味合いが理解しやすいかと思います。さらにGustavmahler.comによると、「The introduction pictures the awakening of nature from a long winter’s sleep.」という注釈がつけられており、「春、終わらず。導入部は自然の長い冬の眠りからの目覚めを描写している。」となります。つまり、導入部には冬から春になるという「冬の目覚めの解釈」が取れる部分があるようです。

ちなみに、交響詩第2稿ワイマール稿では、Gustavmahler.comでは「The awakening of nature in the forest in the earliest morning」、とWikipedia英語では「This introduction describes the awakening of nature at the earliest dawn.」と注釈がつけられており、「春、終わらず。導入部は夜明けの(森の)自然の目覚めを描写している。」という意味にかわっています。「朝の目覚めの解釈」が取れる部分もありそうです。

このように、稿によって冬の目覚めだったり春の目覚めだったりするところも解釈を複雑にさせる部分です。しかし交響曲となった今では、それらのタイトルは「聴衆に誤解を与えていた」というマーラーの意志のもと削除されていますのであまりこだわりすぎず、でも無視しすぎずのスタンスがいいのかもしれません。

ちなみに、この第一楽章を読み解いていくといろいろな既存の楽曲を題材に作られていることがわかります。その用いられた曲を考察してみると、作曲者の意思や体験といった「マーラーの人生経験の解釈」も取れてしまうのがこの楽曲解釈を難しくしている部分でもあります。

この楽曲はいろんな次元を内包しているのかもしれません。

<構造>

第一楽章の構造はこの時代にしては複雑(というよりわかりにくい)です。基本的には大規模なソナタ形式をとっていますが、一般的なものとはずいぶん異なっています。一般的な大規模ソナタ形式は以下の図の構造になっています(Wikipediaを少し改造。)。推移部、小終結部がない楽曲もあります。

もし、マーラーが大規模ソナタ形式でD-durの一楽章を作曲していたら、構造は以下のようになったでしょう。D-durで始まり、推移部がある場合には転調して第二主題のA-durとなり、展開部でさらに転調して最後にD-durで終わるというシンプルな構造になります。

しかし、マーラーの第一楽章は全く異なっており、実際には以下の構造になっています。第一主題が省略、というよりは展開部に挿入されるように入れ替えられています。拡張され、順序を入れ替え、要素(四楽章の示唆など)が追加されたとても大きく少し異質なソナタ形式です。ブラームス派のようなドイツの伝統的音楽を好んだ人々からは避けられたのでしょう。なお、第四楽章でも主題の順序が入れ替えられているようです(Wikipediaより)。

山崎与次兵衛アーカイブスによると、第一楽章の繰り返し記号は「マーラー自身が「後から」追加した提示部 反復のための複縦線」らしいのです。実際、IMSLPで見られる1893年の自筆譜(第2稿、3管編成)には複縦線がありません。このため、当初からソナタ形式を絶対に順守して作曲しようとしたわけではなく、ソナタ形式をベースにするものの、マーラーがそこから新たに拡張(あるいは発展させたり、新たな様式を作ろうと)しようとした拡張ソナタ形式というべき様式なのかもしれません。

なお、この構造については音楽サイト新皮質 音楽 辺縁系若人交響曲の第1楽章の形式(やすのぶさんによる分析)を参考にしており、この方の説を概ね支持しております。練習番号はマーラー自身が記載したものだと思いますので、その番号を境に要素が新しくなっている(あるいか楽曲構成上のなんらかの区切り)であることはほぼ間違いないでしょう。しかし、実際にマーラー自身が第一主題や第二主題を考えていたかまでは不明です。単にこの記事で言う第二主題「朝の野原を歩けば」を「歌曲主題」のように考えていただけかもしれませんし、ホルンとチェロの第一主題を「ホルンによる新たな主題」「チェロによる応答主題」とか漠然と考えていただけかもしれません。こればかりはもっと詳しくマーラーに関する書籍や手紙集などを調べてみないと判別できないでしょう。

この構造理解は現時点で私が最も納得できる構造だと考えているものであり、今後新たな情報が入れば撤回・修正することもありえますのでご了承ください。

<序奏>(冒頭~4-4)

「Langsam. Schleppend. 」で、pppppの静かな雰囲気で始まります。この指示はドイツ語で書かれています。イタリア語に直すとLangsam.はLento.(ゆっくり、ゆったり)ですが、Schleppend.はうまく当てはまるイタリア語がありません。あえてつけるならPesanteでしょうか(相模原市民交響楽団 ドイツ語音楽辞典より)。「ゆるやかに、重々しく」という日本語版Wikipediaの訳も近いのかもしれません。 ちゃんとドイツ語を調べてみると、Schleppendは動詞Schleppenの現在分詞形(英語のing形)です。Schleppenは「引きずる」「けん引する」です。稀にある「引きずられるように」という受動的解釈は誤訳のようにも感じます。「引きずりながら」の方が近いですが、Schleppenの例文を見てみると確かに「引きずる」はありますが、必ずしも「すり足のように引きずる」や「苦労して重いものをずるずると引っ張る」とは限りませんので、注意が必要です。なお、指示に書かれている現在分詞形Schleppendの例文には一切「引きずる」というワードは出てきませんのでご注意です(「間延び」や「まだるっこい」など、「なかなか前に進まずちょっと遅くない?というフラストレーションが溜まるニュアンス」です)。

Wie ein Naturlaut. ですが、一般的には「自然の音のように」と訳されます。しかし、この言葉については新交響楽団のページに深い考察がされています。そこにはこのようなことが書かれています。

…私の経験上「自然の音」というと”Naturlaut”より”Naturton”を連想する。あえてLautを使ったのは、この周りから溢れ出てくるニュアンスがほしかったのではないだろうか。いわば、自然の音ではなく、音が溢れる自然そのものをオーケストラの楽器で表現することで、新しい表現・芸術のジャンル… 
また、THE CHICAGO MAHLERITESのページには、この言葉は「as if spoken by nature」と訳される、とも書かれています。 これから考えると、オーケストラで自然の音を真似に行くのではなく、自然の音をオーケストラで表したらこんな感じだった、と考えた方が近いかもしれません。奏者としては、すべての音を「自然の何か」に似させる必要はなく(四度下行だからといってすべての楽器をカッコウに似せる必要はない)、指示がない部分は自然体で演奏すればよいのではないでしょうか(カッコウについては後述しています)。この解釈は、ベートーヴェンが自身の交響曲第6番「田園」について「絵画的描写ではなく感情の表出」と強調した(Wikipedia)ことに倣ったとも考えられます。また、マーラーが尊敬したワーグナーのオペラ「ジークフリート」第二幕Youtube)のような、さわやかに鳥が鳴きかわすような明らかな自然の描写がマーラー以前にあるにもかかわらず、それとは性格が異なっていることも楽曲からうかがえると思います。

マーラーはこの他にもスコアにドイツ語で沢山の指示を書き込んでいます。販売されているスコアには日本語訳が書かれていたり、日本語訳されたファイル(精華女子短期大学のファイル)もネットにあったりしますが、ドイツ語と日本語ではニュアンスが大きく異なる部分もあると思います。本気でマーラーに取り組もうと考えている方は、是非ドイツ語の指示を一つ一つ例文や英語訳で調べて、正しいニュアンスを調査してみてはいかがでしょうか。

さて、ここから(やっと)曲自体の解読に進みましょう。この曲はD-durの交響曲ですが、フラット1つで始まっています。導入がD-mollとなっています。 英語版Wikipediaの第一楽章の解説では、冒頭部分をベートーヴェンの交響曲第4番第一楽章冒頭の暗示(オマージュ)としています。果たして本当でしょうか?比較してみましょう。(注:これ以降掲載しているYoutubeは該当部分のみ見られるよう再生部分が区切られています。)

マーラー交響曲第1番冒頭(一部省略)

弦楽器がフラジオレットでA(ラ)の音を伸ばし、管楽器がA-E(ラ – ミ)の四度下行しています。A-Eで聴衆に四度下を示し、さらにA-Eを繰り返してモチーフが四度下行であること意識させます。その後、A-E, F-C, D-(Bb)と四度下行(最後だけ三度)を繰り返していきます。この四度下行が交響曲第一番全楽章に共通するモチーフになっています。さて、ベートーヴェンの冒頭はどうでしょうか。

ベートーヴェン交響曲第4番冒頭(一部省略)

管楽器がBb(シ♭)の音を伸ばし、弦楽器がGes-E(ソ♭ – ミ)の三度下行のあと、同様にF-Des, Es-C, Des-Bbの三度下行を繰り返しています。

構造的にはほぼ同じです。マーラーとの違いは管と弦をベートーヴェンから入れ替えていること、ベートーヴェンの三度下行から四度下行に広げていることにあります。これについてはいろんな解釈ができると思います。

管と弦を入れ替えたことについては、例えば「ベートーヴェン時代の交響曲は管楽器があまり主役にならなかったが、管楽器にモチーフを吹かせることでベートーヴェンをインスパイアしつつ違いを出そうとした」とかです。なお、マーラーでは弦がフラジオレットになっていますが、ジョルジュ・リゲティのマーラーの音楽の論考(1974年論考「グスタフ・マーラーと音楽のユートピア-音楽と空間 Gustav Mahler und die musikalische Utopie: I. Musik und Raum」と「グスタフ・マーラーと音楽のユートピア コラージュ Gustav Mahler und die musikalische Utopie: II. Collage」か。グスタフ・マーラーの交響曲における空間性より)によると、「この何オクターヴにもわたる音をマーラーは最初普通に書いたのですが、リハーサルのとき彼はこれが気に入らず、弦楽器にフラジョレットで弾くように指示した」hayatoの響音窟より)とあるようです。つまり、もともとはフラジオレットではなかったことからも、ベートーヴェンのオマージュだった可能性が高まります。

四度下行に広げたことについては「ベートーヴェンの三度下行に対し、四度に広げることでベートーヴェンの時代よりも深みや広がりを出そうとした」とも考えられますが、個人的にはベートーヴェン交響曲第9番第一楽章冒頭の「E-A, A-E(四度), E-Aが繰り返された後のTutti D-A(四度)」あたりにインスパイアされた説(市販のスコアに記載あり)を取りたいと思います。弦楽器が6連符を刻んで(ホルンも伸ばして)いるのも、マーラー交響曲第1番の冒頭で弦楽器群がフラジオレットAを奏でているのと類似しているようにも見えます。

ベートーヴェン交響曲第9番冒頭(一部省略)

このほかにもベートーヴェン交響曲第7番はA-E(四度下行)Cis-Fis(四度上行)で始まる!とか上げたらキリがありませんし、ベートーヴェン以外にも似たようなオープニングを持つ作曲家もいると思います。直接の先生だったブルックナーの影響はないのか?と考え始めたら止まりませんので、ひとまずこのあたりにしておきたいと思います。いずれにせよ、マーラーは四度下行にこだわりを持ってこの曲通したテーマとして使っています。

ちなみに個人的にはG. Mahlerの「MAHLER」から取った説を支持したいです。笑

なお、冒頭のSchleppend.の意味を「ベートーヴェンの交響曲第4番や第9番の冒頭のオマージュを、A-Eを何度も繰り返したり、休符を入れたりしてベートーヴェンよりも引き延ばしながら」というようにかかっている、という解釈もしてみたいものですが、いかがなものでしょうか。 さらに余談ですが、ロベルト・シューマンはベートーヴェンの交響曲第4番について「2人の北欧神話の巨人(第3番と第5番のこと)の間にはさまれたギリシアの乙女」と例えた」と伝えられているようです。マーラーがこの話を知っていたかは定かではありませんが、ジャン・パウルの小説「巨人」の影響もあって作曲した自作に、巨人にはさまれたギリシア乙女から引用したのも面白い話です。(なお、ジャン・パウルの「巨人」は大きな人である「巨人」を意味しているわけではありません。)

なお、この部分のA-Eをもってして「カッコウのモチーフか」としている解説(Wikipedia等)もありますが、後でちゃんとクラリネットに「D-A」の四度下行(四度カッコウ)が出てきます(しかも「カッコウの鳴き声を模倣して」という注釈付き)ので、冒頭のA-Eはカッコウのモチーフではないと思います。情緒的に解釈するなら「自然の呼びかけ」と応答(またはこだま)とかでしょうか。

さて、再度マーラーを見てみると、冒頭はベートーヴェンのようにすぐ四度下行をしてしまうのではなく、A-Eを繰り返した後、A-E、F-C、D-Bbと落ちますが、本来なら最後D-Aに落ちてほしいのに落ちていません。それどころかフルートが「まだ違うんじゃない?」とでも言わんばかりに半音ずつ上がって、オーボエが「仕切り直し!」と言わんばかりにさらに上まで戻ります。この間には、クラリネットによるファンファーレが挿入されています。このクラリネットは、落ち切らなかったBbの音を受取ってBb-durで演奏されているため、D-durを探す中(ずっとフラジオレットAが流れている中)では異質なものになっています。

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このファンファーレが情緒的に何を表すか(または表さないか)については解釈次第だと思いますが、一つには「遠方から聞こえる朝の狩りの角笛」の可能性があるでしょう。「狩りの角笛は普通ホルンでは?」という意見もあると思いますが、第2稿では実際にクラリネットではなくホルンだった(Wikipedia)ことからも、可能性はあるでしょう。音型自体はワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」第二幕第1場の「狩りに出かけるマルケ王一行が吹き鳴らす角笛」に似ており(Youtube, 2:03~。IMSLP)、ワーグナーでは舞台裏のホルンが演奏する(マーラーでは最初のトランペットが舞台裏にて演奏。クラリネットは舞台で吹いても遠くからなっているように聞こえるので舞台上で演奏したというリゲティの解説あり(hayatoの響音窟より)。)という類似点もあります。 他には「朝を告げる(軍楽隊の)ラッパ」「春を告げるラッパ」であると考えられます。軍楽隊はマーラーが子供の頃から好きだった影響と考えられ、春については音型は全く違いますがシューマンの交響曲第1番「春」が春を告げるホルンとトランペットで始まっており、マーラーも当初ホルンとトランペットのファンファーレとしていたため、そこから何かインスピレーションを得たかもしれません(実際マーラーはシューマンの交響曲第1番のオーケストレーションを改訂しています。Wikipediaより)。

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第2幕第1場より抜粋。リズムが似ていませんか?

さて先に進むと、今度はピッコロやオーボエが再度四度下行を試します。しかし、やはり最後はすんなりD-Aと落ちず、間にBbを挟みます。すんなり四度落としていいのか、迷っているようにも聞こえます。
続いて、クラリネットと似た(しかし同じではない)ファンファーレをトランペットが演奏します。ここは落ちたAを受けて、おそらくA-durで演奏されており、先のクラリネットとは調も異なっています。確証はありませんが、こちらも先ほどと同様のワーグナーの「狩りの角笛」の他、ブルックナーのような軍の「起床ラッパ」「朝を告げるラッパ」、あるいはシューマンのような「春を告げるラッパ」のモチーフなのかもしれません。先ほどとは音型が違うため、先ほどが「狩りの角笛」で今回が「軍の起床ラッパ」ということもあり得るかもしれません。
その後、複数の木管が「もっかいやっておこうぜ!」と言わんばかりにA-Eの四度下行を連続して打ち、再度ヴァイオリンでチャレンジすることになります。

 

さて、今度はヴァイオリンとチェロで挑戦するのですが、すぐにDからAに落ちません。まさかの全音符で溜めます。

そこで、初めてクラリネットによって「これだろ!」とでも言わんばかりにカッコウ(D-A)が演奏されます!ちゃんとドイツ語で「カッコウの鳴き声を模倣して」との注釈もあります。これを受けて、やっとヴァイオリンもAに下がりここに四度下行が完成します。これ以前は一度もカッコウの模倣「D-A」が出てきませんでしたので、ここで初めて「四度下行」と「四度カッコウ」が現れたことになります。

ところでカッコウの声のモチーフは過去さまざまな作曲家がやってきましたが、ほとんどが四度ではなく三度でした。ヘンデルのオルガン協奏曲「カッコウとナイチンゲール」第二楽章のカッコウはG-E(ソ-ミ)F-D(ファ-レ)他数パターンありますが全部三度カッコウベートーヴェン交響曲第6番第二楽章後半のカッコウはD-Bb(レ-シ♭)の三度カッコウ(半音4つ)、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」の「森の奥のカッコウ」はC-As(ド-ラ♭)の三度カッコウ(半音4つ)、ヨナーソンの「かっこうワルツ」はG-E(ソ-ミ)の三度カッコウ(半音3つ)でした。やはりマーラーの四度カッコウ(半音5つ)は特徴的です。余談ですが、ドヴォルザーク交響曲第8番第二楽章のフルートにカッコウを模した音型が出てきまして、それはC-G(ド-ソ)等の四度カッコウ(半音は5つ)でマーラーと同じです。

マーラーはこのことについて「たまたまカッコウが四度のD-Aで鳴くことも、あるいはCis-Aで鳴くこともあるがそういう話ではない。自然のままの音を模写するのは無理(注釈;いろんな音程で鳴くでしょ?ということ)だから、自然のままの音や音程ではなく、常に翻訳して様式化して再現しているのだ。そうすれば自然の響きに特徴的なものを、真似するよりも忠実に再現できるのだ。なのに私の森に対する喜びをうたった一楽章で、カッコウの春の呼び声を聴きとれた人はまだいない。」と嘆いている記録があります。つまり、「単なるカッコウの鳴き真似」ではなく、「カッコウが春になって鳴く喜び」のような「森の風景」「春の到来」等「カッコウ」に含まれる様々な要素を「四度カッコウ」にシンボル化をして表現したかったのだと推察されます。

さて、カッコウが終わると、四度下行がちゃんと済んで安心したとばかりにホルンによって柔らかいコラールが現れます。情緒的にはまどろみまたは夢うつつの印象も受けます(根拠はありません)。風景的にはアルプスのアルペンホルンでしょうか。 ここは主調になるD-durのようにも見えますが、今までのD-mollの中で出てくるので、まだ交響曲の主調であるような気はしません。このホルンのコラールの後にトランペットのファンファーレが鳴り朝の目覚めへ向かわせる印象を受けます。なお、このホルンについては、作曲時にウェーバーの孫夫人(マリオン・ウェーバー)と恋愛していたため、ウェーバー「魔弾の射手」序曲の冒頭ホルンのコラールの影響か、とする意見もあります(リブラリア・ムジカより。魔弾の射手Youtube, IMSLP)。

再度コラールが表れ、ファンファーレとカッコウが同時に現れて、この部分の終わりを感じさせます。

今まで沈黙を保っていたティンパニによるロール、チェロ・コントラバスから始まる新しい怪しげな半音階進行(クロマティックモチーフ)完成した四度下行カッコウのモチーフが混ざりあって暗めの雰囲気の中提示部へ向かいます。この半音階進行も何かのオマージュかと思うのですが、今のところ情報を見つけられていません。

Cello, Bassの半音階進行

そして曲はIm Anfang sehr gemächlich(始めはとても落ち着いて/ゆるやかに)のD-durの「カッコウの経過(フレーズのつなぎ)」に導入されて提示部の旋律へ入ります。第一楽章では「カッコウの経過」とともにフレーズや場面が切り替わりますので覚えておいて損はないと思います。

クラリネットの「カッコウの経過」

<提示部>(4-4~12)

オクターブで分かれていたチェロが合流し、ユニゾンで主題を奏でるところから始まります。Immer sehr gemächlichは「常に落ち着いて(ゆるやかに)」の意味です。なお、英語訳では「Always very leisurely」です。 これ以降は異質であるものの一応ソナタ形式をとっていますので、必ずしも交響詩のように情景描写されているとは限らないと思います。

この主題はマーラー自身の歌曲「さすらう職人の歌」より「朝の野原を歩けば」がほぼそのまま使われています。なお、一般的に「さすらう若人の歌」といわれていますが、Wikipediaによるとさすらっているのは「マイスター(親方)の称号を取得するために、ドイツ語圏を広く渡り歩いた職人」とのことですので、必ずしも若者とは限らないようです。ちなみに、「さすらう職人の歌」の職人とは、マーラー自身を指している可能性があります(この頃のマーラー自身がどこかしら「学生」と「マイスター(巨匠)」のはざまにいて、技能を磨き、偉大な巨匠から学びながら、実際に数々の都市を遍歴したから。Wikipediaより)。

なお、「朝の野原を歩けば」は「恋をして世界が輝いて見える」ような内容(歌詞は後述しますがWikipediaもどうぞ)で、原曲は4番で「最後になって、恋人が去ってしまった以上、自分の幸せが花開くこともないのだと気づいてしまう」なんて悲しい結末になりますが、この交響曲では4番のモチーフは一切出てこず、朝の野原を歩けば1~3番のキラキラした歌のフレーズから引用されています。そのことを考えると、ここを情緒的に解釈すれば、「さすらう職人の歌」の曲想の元となった「ヨハンナ・リヒターへの恋」のテーマなのかもしれません。

「朝の野原を歩けば」の歌詞を細かく見てみると、朝の野を歩いているとフィンチ(歌詞ではFinkアトリ科の鳥。種名までは不明。)やホタルブクロの仲間(歌詞ではツリガネソウ(Glockenblumen)とされている。)が「やあ、おはよう!いい朝だね!なあ、君!なんて美しい世界じゃないか?」と語り掛けてくるものです。冒頭を「目覚め」と捉えると、絵画描写的にいえばここでは「朝(春)になった喜びと散歩している情景」という解釈もできるかと思います。ただし、繰り返し記号の後の展開部に再度冒頭の導入部のような部分が出てきますので、必ずしも朝になったという解釈が正しいかは微妙です。

朝の野原を歩けば(1~4番)

ところで注意点ですが、「さすらう職人の歌」自体は1885年に完成していますが、その後1891年あたりから大幅に改訂され、オーケストレーションもその頃されたということです(Wikipedia 作曲史より)(2019.3.20追記:1896年1月のナターリエ・バウアー=レヒナーの記録によると「同年3月16日ベルリンでの交響曲第二番初演演奏会に向けて、オーケストラ版を作成していた」とある。)。交響曲第1番の第1稿(ブダペスト稿)は1887年に作られていますので、「さすらう職人の歌」の改訂やオーケストレーションは交響曲第1番に引っ張られた可能性があり、ようなので2つの曲が似ているのも当然なのかもしれません。「朝の野原を歩けば」の楽譜はIMSLPにありますので、比較したり詳細を見たい場合は是非そちらをご覧ください。

さて、この提示部では、本来D-durで演奏されるべき第一主題がほぼA-durで演奏されています。これから考えられるのは、第一主題が属調で示されているか、第一主題が省略されて第二主題のみが示されているかのどちらかです。一瞬D-durで示された「朝の野原を歩けば」がすぐにA-durに変わるので、D-dur部分は偽第一主題ともいうべきで、実際は「朝の野原を歩けば」すべてが第二主題なのでしょう。D-dur部分が第一主題でA-dur部分が第二主題と考えるのは曲の性質が変わっていない(例えば第一主題が元気なら第二主題は穏やか、のように性質が変わってしかるべき。Wikipediaソナタ形式提示部より)ため可能性がほぼ0です。さらにその後、ソナタ形式でよくある「第二主題の後の終結部」も見受けられるため、やはり「朝の野原を歩けば」全体が第二主題という考え方が妥当に思えます。マーラーも「今から主題をD-durで提示するけど、すぐA-durにするからここは第二主題なんだよ」と教えているようにも思えます。しかし、提示部で第一主題(主調のテーマ)を省略するのは当時前代未聞だったことでしょう。人によっては「第一主題を属調で提示するなんて!」と怒った人もいたかもしれません。

この提示部は3ブロックに分けられると思います。1つめは提示部初めのチェロで始まる「朝の野原を歩けば」のフレーズ(偽第一主題)、2つめはトランペットで始まる朝の野原を歩けば3番(第二主題の提示)及び再度トランペットから始まる朝の野を歩けば1番(第二主題の確保)です。そして3つめが最後のにffで始まるTuttiから繰り返し記号までの小終結部(小コーダ)です。

<第1ブロック:偽第一主題「朝の野原を歩けば」1番>(4-45)

ここでは「朝の野原を歩けば」の1番そのままの引用が行われています。提示部冒頭のチェロはまるっきり歌からの引用で、調も同じくD-durです。チェロで第一主題が演奏されたと思わせておいて、クラリネットの「カッコウの経過」(ここではA-durか)を経て、次のフレーズに移ります。実際には第一主題ではないので、偽第一主題としておきたいと思います。ベートーヴェンも初期の作品(作品2-3等)では「偽第二主題」を使っていたようですので、マーラーもこれに倣った可能性もないとは言えません。

マーラー交響曲第1番

「朝の野原を歩けば」1番

クラリネットによる「カッコウの経過」

<第2ブロック①:第二主題の提示「朝の野原を歩けば」3番>(5-4~7-9)

A-durのカッコウに導かれ、今度はトランペットから「朝の野原を歩けば」の3番の引用が始まります。原曲はH-durですが、ここでは交響曲の主調D-durの属調A-durになっています。第二主題は一般的に属調で演奏されるので、ここで第二主題であることを示しています。この「朝の野原を歩けば」3番の歌からの引用は、やはりフルートやクラリネット、ホルンの「カッコウ」による経過が出るまで続きます。

トランペットから始まる「朝の野原を歩けば」3番の引用(以降「カッコウの経過」まで続く)

「朝の野原を歩けば」3番

「朝の野原を歩けば」3番の引用が終わる頃にフルート・クラリネットで「カッコウの経過」が現れますが音はE-Hで、次にE-durのテーマ(E-H-E-Fis-Gis-A-H)に行くのかと思わせます。しかし、ホルンがその流れを止めるように実音Eのみで「カッコウの経過」に類似した音型を吹き、次もA-durで続くことになります。

フルート、クラリネットによる「カッコウの経過」

<第2ブロック②:第二主題の確保「朝の野原を歩けば」1番>(7-9~9-5)

再度トランペットに始まる主題部分は、今度は「朝の野原を歩けば」の1番の引用です。調は原曲F-durに対し、ここでも主調D-durの属調A-durになっています。第1ブロックで原曲D-durの「朝の野原を歩けば」1番、第2ブロック①で属調A-durの「朝の野原を歩けば」3番、それらを合わせたようにこの第2ブロック②で属調A-durで「朝の野原を歩けば」1番を演奏します。ここで、<第1ブロック>D-durで第一主題と見せかけ、<第2ブロック①>属調A-durに転調して第二主題であることを示唆し、再度<第2ブロック②>A-durで主題を確保することで、この部分が第二主題であることが確定します。なお、今度はカッコウの経過が来ずに提示部の小終結部(小コーダ)に繋がります。

トランペットから始まる「朝の野原を歩けば」1番の引用

「朝の野原を歩けば」1番

<第3ブロック:小終結部(小コーダ)>(9-5~12)

ここでは、<第1~3ブロック>で出てきた歌のフレーズが細かく分かれます。また、今まで歌には出てこなかったフレーズ(E-Fis-Cis-Fis-E)も合わさりffで演奏されます。なお、歌には出ていないと言っても音型が同じなので要素が変化したものと捉えられるでしょう。このフレーズは小終結主題Wikipedia提示部参照)と見られるかもしれません。

今までの歌曲風がいきなり管弦楽・交響曲風に変わり、以下の楽譜赤枠では歌で出た音型の変形フレーズ(E-Fis-Cis-Fis-E)が出てきています。これを「さえずりモチーフ(Tirilli motif)」と見る人もいます(Gustav mahler.comより)。このモチーフにはFis-Cisの部分にちゃんと4度下行が現れています青枠歌のフレーズですが、後半のフレーズの終りが多少変形されています。黄枠では歌に似たような下行が出ていた変形下行フレーズ緑枠は青枠の変形のような変形上行フレーズです。これらが繰り返され、入り乱れさらに形を変えたりしますが意外とあっさりと終わり、「カッコウの経過」に至ります。

ソナタ形式では第二主題の後に小終結部(小コーダ)が出てくるものがありますので、この曲はこの部分が第二主題の後の小コーダにあたると思われます。この小コーダがあることで、やはり「朝の野原を歩けば」は第二主題だったと再確認できます。

この提示部は、「カッコウの経過」を2回(1回目以下赤枠、2回目以下青枠)経て、繰り返された後展開部へ入ります。

<展開部>(12~26)

展開部では、提示部のモチーフと提示部でほとんど使われなかった導入部のモチーフを取り戻す作業を行い、同時に今まで出てこなかった第一主題の準備をしていきます。これは、第二主題に向けて提示部の推移部に新たな素材を投入していたモーツァルトやベートーヴェン(Wikipediaソナタ形式提示部より)を意識して、発展させているようにも思えます。この展開部から新しいテーマ(第一主題)が現れるのもソナタ形式としては特殊です。

<序奏・第二主題の展開・第一主題への推移>(12~15)

展開部冒頭は、導入部の再現(フラジオレットA)がVn,Vaに、提示部の小終結主題「さえずりモチーフ」がFlに、「カッコウの経過」の変形がPiccで始まり、新しい主題を予告する断片テーマ(第一主題の断片)がVcで出て第一主題の準備がされます。なお、ここを導入部(2回目)と考えることもできますが、小終結主題「さえずりモチーフ」を引っ張ってきていたり、「カッコウの経過」を変形させているので、展開部と見た方がはっきりすると思います。なお、導入部の再現とはいっても、トランペットに出てきたファンファーレはすぐには出現せず、展開部後半に展開して現れます。

さらに進むと、導入部に出てきた4度下行がOb,Clに、半音階進行がHpに出現します(フレーズ終わりに3楽章の破片(D-E-F、3movはF-G-A)が出ているところがユニークです)。調号は変わらないものの、冒頭のD-mollと同じです。ここでも導入部後半と同様に四度下行はすんなりD-Aに落ちます。さらに導入部ホルンのコラールの変形がD-mollで現れます。冒頭がミュートなしのD-dur?のコラールだったのに対し、平行調のD-mollでミュートを付けるなど、対比が行われています。そして、FlとClによるカッコウの経過(変形)が繰り返され、クレッシェンドして第一主題へ向かっていきます。

<第一主題>(15~16)

第一主題部分はSehr gemächlich「とても落ち着いて(ゆっくりと)」かつ2/2拍子で始まります。序奏及びその展開部分が4/4拍子で、テーマ部分が2/2拍子なので読譜上はわかりやすいのですが、視聴上は少しわかりにくいです。先に出てきた第二主題(朝の野原を歩けば)も2/2拍子で、標示もImmer sehr gemächlichは「常にとても落ち着いて(ゆっくりと)」でしたので、しっかりと対比すべき主題であることは示唆されています。

pppかつD-durで演奏されるホルンの分散和音による主題が第一主題①、その後にこれまで断片的に示されていたチェロの主題が第一主題②と考えられます。この2つが第一主題です。第二主題が「朝の野原を歩けばのフレーズ」全部なのを考えると、この2つが第一主題でもそれほど不思議ではありません。出番としては第一主題②の方がやや多い気はします。また、ここではそれに加えて小終結主題「さえずりモチーフ」の変形がまるで本当の鳥の声のようにフルートで表されています。なお、このホルンの分散和音による第一主題①は、ウェーバー孫から完成を依頼されたウェーバー「三人のピントYoutube(この間奏曲についてはおそらくマーラー作), IMSLPに似ているとする説もありますリブラリア・ムジカより)。

なお、ホルンの第一主題①が「目覚めのテーマ」なんて言われることがありますが、調べてみても何故かはわかりませんでした。Sehr gemächlich(とても落ち着いて)かつpppで演奏されるもので、目覚めなのかは少々疑問です。寝起きでしょうか?pppなのはプレイヤーたちがテンション上がってしまって大きく吹きがちだからつけたという可能性もありそうですが…。情緒的な解釈では「目覚め」もありな気もしますが、ちょっと証拠に弱い気もします。どちらかといえば、「朝の野原を歩けば」を「ヨハンナ・リヒターへの恋のテーマ」と捉えるなら、その恋の後に出てきていますし、マリオン・ウェーバーとの恋のさなか作曲した「三人のピント」に似ているのでこの第一主題①は「マリオン・ウェーバーへの恋のテーマ」でいい気もします。

なお、第一主題②については今のところ情報を得られていません。第一主題①の続きと考えるとウェーバー絡みの何かから主題を持ってきているかもしれませんし、一番最初の王立郵便局長の娘「ヨゼフィーネ・ボイスル」との恋の際に作った曲(ex.1880年の「3つの歌曲(Drei Lieder)」。この2曲目は第二楽章のモチーフになった「ハンスとグレーテ」になっています(3つの歌曲解説)。)やその時期の曲に由来しているかもしれません。もちろんヨハンナ・リヒター関連もあり得ますし、まったく無関係から取った可能性も、あるいは完全オリジナルの可能性もあり得ます。続報を入手次第再考したいと思います。

<第二主題の展開>(16~21

さて、第一主題が終わりそうな部分から、さりげなくVnで第二主題(朝の野原を歩けば3番)の展開(具体的には6付近の展開)が始まります。6付近はEの音から始まっていましたが、今度は4度上のAから始まっています。音は違いますが調は同じくA-durでしょうか?HrやVcによる対旋律も美しく響きます。 その後、転調が現れる17からはAs-durをうかがわせながら第二主題の転調に向かいます。さりげなくFgに「朝の野原を歩けば」の冒頭部分がでてきています。

18からは第二主題(朝の野原をあるけば1番)の変形及びAs-dur転調(特に8~9-5付近の転調)になっています。提示部で「朝の野原をあるけば3番→1番」の順だったため、その順に倣って確保されていますので形式通りと言えます。さらにここでは第一主題②の転調(変形)もVnとVaに現れています。 なお、As-durは五度圏でいうとD-durの正反対側。D-durをこの曲に置ける天上の長調と考えるなら、真逆のAs-durは天下の長調です。この後曲はAs-durの平行調であるF-moll(天下の短調)に向かわせるのですが、その前段階というところでしょう。ここから、As-dur(F-mollの平行調)からF-dur(F-mollの同主調)を経て、F-mollに向かうという段階的な調性変化をとっていきます。

提示部に倣うならば19-4あたりで「小終結部主題(さえずりモチーフ)」が来そうなものですが、ここでは来ずにHrで「朝の野原を歩けば2番から3番へのつなぎ」部分(以下の譜面)が来ており、再度20-4からFlとClでF-durの「朝の野原を歩けば」3番の変形が来ます(譜面は省略。スコアをご参照ください)。

マーラー交響曲第一番19-4~

朝の野を歩けば2番から3番のつなぎ

<第一主題の展開>(21~22)

18にも第一主題②が出ていましたが、再度21から22にかけて第一主題②が短調に向かって転調・変形しながら現れます。先ほどのF-durからF-mollへの経過部分とも見られます。

<第四楽章の示唆>(22~23)

22からは終楽章(第四楽章)主題の示唆が現れます。通称「インフェルノ(地獄)」のテーマです。「交響詩」第2稿の終楽章の標題では「地獄から天国へ(Dall’ Inferno al Paradiso) 」となっていました。その地獄のテーマということです。五度圏で見ると主調であるD-durからは最も遠く反対側のF-mollになっています。天国をD-durと見るならば、地獄は対極のF-mollということですね。第四楽章はリストのダンテ交響曲から取られた「十字架モチーフ」(Cross motif)の短調(G-As-C)が主題となっていますが、ここでは(G-As-B、As-B-C)と一度ずつ上がるのみで、まだ完全な「インフェルノ」の世界にはなりません。情緒的に解釈するなら不安の表れというところでしょう。そのフレーズは木管楽器のみで、かつpからクレッシェンドするもすぐにpに落ちるあたりが出ては消える不安を表しているようにも感じます。 「さえずりモチーフ」の音型をとっている弦楽器や木管楽器は一度上(または一度下)の音でしか動かず、四度下行が無くなって硬直したように見えます。そして音楽は少し停滞します。

Wikipedia五度圏 By Just plain Bill – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0

<序奏の展開>(23~26)

23からはその不安を打ち破るかのように序奏2のファンファーレが現れます。やっと序奏のファンファーレの展開です。しかし弱音器付きのトランペットではffでもまだ不安を打ち破れず、大声を出したくても出せない閉塞感が表れています。おそらくAs-dur(F-mollの平行調)のファンファーレで地獄のF-mollからの脱出を試みたのでしょうが失敗したということです。そして不安は増大し短調「十字架モチーフ」が完成します。ただし、この短調「十字架モチーフ」は木管楽器にしか出てこない為、第四楽章のような完全なる「インフェルノ」の絶望感には至りません。この部分でも、弦楽器によって動かない「さえずりモチーフ」が繰り返されています。低音楽器は24からEs-Des-Cの音を繰り返しますが、だんだん音型が短くなり加速していきます。なお、この部分をワーグナー「ニーベルングの指環」の巨人族のライトモチーフに似ているという意見(リブラリア・ムジカマーラー交響曲第1番より)もありますが如何でしょうか。26の直前までそのように不安が増大するも、25付近から強引にAやFisといったD-durの構成音を管楽器・弦楽器で鳴らし、ほぼ管楽器全員でファンファーレ(A-dur?)を打ち鳴らしてトリルと三連符で強引に不安を吹き飛ばします。わざわざD-durからAs-durやF-durを経てF-mollに向かったのに、それらを経由せず一気にD-durに持っていってしまいます。こういう強引さが「若い曲」と言われている所以ではないでしょうか。なお、この部分は第四楽章でも再現されています。

弱音器付きトランペットのファンファーレ

木管楽器による短調「十字架モチーフ」

低音楽器によるEs-Des-Cの繰り返し

管楽器によるファンファーレ

 

<再現部>(26~33)

再現部でごちゃごちゃだった構造がすっきりします。再現部に到達してやっと構造を理解できる感じです。

<第一主題の再現>(26~28)

26からホルン7人で主調D-dur第一主題①(15-2~15-12あたり。音量もpppからffに上がり、演奏する人数も増えています。)を27からは主調D-durで第一主題②(15-14~16-6)の主旋律をトランペットと木管で演奏し、その変形的な対旋律をVa,Vcで演奏します。また、ホルンやトランペットの主旋律と同時に木管楽器による「カッコウのモチーフ」(第一主題が現れた展開部でもFlとClで「カッコウのモチーフ」でした)、Vnによる「さえずりモチーフ」の一部(同展開部では「朝の野原を歩けば」の6のような音型でした)も演奏されています。

 

なお、ここで出てくるホルンの三連符の上昇音型については、「オーストリア=ハンガリー帝国歩兵隊のための教練規定抜粋。ホルン/トランペットの信号と太鼓打ち」の中に載っている「注意!」の信号と似ているのがユニークなところです(聖光学院管弦楽団 (170) マーラーの交響曲と実用音楽より)。この「注意!」の信号の雰囲気は、どことなくスマートフォンの緊急地震速報の形にも似ています。昔から「注意」の音形は変わらないのかも知れません。しかし、ここではなんの注意でしょう。

ここの情緒的解釈は、「マリオン・ウェーバーへの恋」(第一主題)や春を歌う鳥の声(カッコウのモチーフ、さえずりモチーフ)が同時に演奏された春を謳歌する華やかで幸せなシーンだと思われます。

2628

比較:第一主題15-2~16-6

蛇足ですが、ほぼ同年代のリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」の序曲(1910年作曲。シュトラウスはこの時すでにマーラーの交響曲第一番をピアノで演奏した経験があります(リブラリア・ムジカより)。「ばらの騎士」第1幕はおそらくマーラーもファンファーレで引用したワーグナー「トリスタンとイゾルデ 」 第2幕のパロディと言われています(スケルツォ倶楽部より)。)で用いたこの三連符と同じような上昇音型(Youtube,1:00~。IMSLP)は、主人公たちの情事を表しているといわれています。もしかしたらマーラーも、この三連符上昇音型ではち切れそうな「マリオン・ウェーバーへの恋」を表していたかもしれません。

<第二主題への推移>

28~29は第一主題から続いた展開部分(1718)を再現かつクライマックスに向かって変形しています。28の前半では、以下の楽譜17のオーボエの音型(赤枠)が木管で、ホルンの上昇音型(青枠)は引き続きホルンで再現されます。28の後半部分では、17のホルンの上昇音型(青枠)が下降音型に変わって木管に、昇り降りしていた弦(緑枠)はほぼ上昇音型に変わってクライマックスへ向かいます。17では第二主題から転調第二主題+第一主題②へ移るところでしたが、この28は主調第一主題から主調第二主題へ移る推移部のようなものでしょう。

1718

2829

比較:展開部1718(2829で再現

<第二主題の再現>(29~31

主題の組み合わせだけを見ると、ここは複雑(というか、今までに出てきた要素をいろいろなところから引っ張ってきています)です。第二主題の再現とともに、第一主題とも混合して楽曲を主調で統合させていきます。ここも、第二主題が複数ブロックに分かれていたのと同様にいくつかのブロックに分かれています。ただし、提示部より要素が多いため、完全に対応しているわけではありません。

<第1ブロック:第二主題「朝の野原を歩けば」1番の再現>

まず、29の少し前からついに第二主題の再現です。29の1小節前アウフタクト~29-7で、提示部第二主題「朝の野原を歩けば」1番(7-9~8を再現。なお、先ほどの続きの推移部的な17-10あたりにも第二主題音型は出ています。)を増強して再現しています。4-4~5で最初に提示されたVcによるD-durの第二主題が、やっとここで日の目を見ます。提示部と同様にここでもTp-高音楽器の主題をエコーまたはカノンのように低音が追いかけています

7-9~8

29付近~29-7

比較:提示部7-9~8

<第2ブロック:第一主題②の挿入>

次に、29-8~30で再度第一主題②が現れます。ここは構造的にほぼ2728と同じで「第一主題②に「さえずりモチーフ」が入った形」ですが、やはり2728と比較するとクライマックスに向かって少しだけ変化しています。このブロックは当然提示部にはなかった要素で、再現部第一主題2728の再現と見ることもできますが、さすがに再現部の再現はちょっと変だと思います。<第1ブロック>と<第3ブロック>の「朝の野原を歩けば」1番に第一主題が入り込んだと見た方がよいかもしれません。次の<第3ブロック>で「朝の野原を歩けば」1番に第一主題②を混ぜて統合するのでその前置きと見た方がよいかもしれません。

2728

29-8~30

比較:再現部2728

<第3ブロック:第二主題「朝の野原を歩けば」1番と第一主題②の混合>

最後に、30から31までは第二主題「朝の野原を歩けば」の1番(89-5)と第一主題②(15-14~)の変形がミックスしています。弦楽器で「朝の野原を歩けば」、木管楽器で変形された第一主題②を演奏しますが、クライマックスに向かって弦も木管も「朝の野原を歩けば」に収束し、小コーダに向かいます。転調された第二主題と第一主題②が演奏された展開部18~19-4付近と構造上は同じですが、どちらかといえば1819-4はクライマックスの暗示と見た方がスッキリするかもしれません。第二主題と第一主題どちらもD-durで再現して混合しています。

情緒的な解釈では「ヨハンナ・リヒターへの恋」と「マリオン・ウェーバーへの恋」が合わさって、恋する気分が完全に高まった状態でしょうか。すべてが収束していく感じです。

収束していく

3031

比較:展開部1819-4

(以下参考ですが)29~317-9~9-5を比較すると、第二主題(「朝の野原を歩けば」1番)の再現に第一主題②が入り込んで組み合わさったのがわかると思います。

2931

比較:第二主題7-9~9-5(「朝の野原を歩けば」1番)

<小終結部の再現>(31~33)

31からは小終結部(9-5~12)ほぼ完全に再現し、こちらもD-durになります。小終結部をさらに再現したことで楽曲の終焉をうかがわせます。調以外に比較するほど楽譜に違いが見受けられないため楽譜は省略しました。

9-5~12

<終結部(コーダ)>(33~終わり)

33からは楽曲全体の終結部(コーダ)になります。木管楽器、金管楽器、弦楽器全員で入れ替わりながら「カッコウの経過」の後半部分(D-A,D-A)を連打し、ティンパニがさらに1つ多くD-Aを打って楽曲の終わりを感じさせます。そして突然のGPの後、管楽器とティンパニの短いフレーズの後、全員で嵐のごとく過ぎ去ります。非常に短いコーダです。

なぜこのような突然のGPと加速する音の連打で終わるのか、説明している文献やサイトはあまり多くありませんが伊勢管弦楽団のサイトによれば、この部分についてマーラーは次のように述べたということです。「この楽章の結末は、聴衆には本当のところ理解できないだろう。もっと効果的な終わり方だって簡単にできたのだろうけれど、この楽章はまったく唐突に終わる。私の主人公は突然わっと笑ったかと思うと、走り去るのだ。」。 この「私の主人公」という言い方は、元々交響曲第一番がジャン・パウルの教養小説「巨人」に影響を受けており、楽曲も「長編の教養小説のように展開する」から(NHK交響楽団より)かと思われます。この「私の主人公」はこの曲において春を謳歌し恋をうたった人物なのでしょうが、それはマーラーかマーラーが自身を投影させた人物(結局はマーラーが第三者視点で見たマーラー自身)ではないでしょうか。そう考えると、マーラーが笑って走り去る場面を想像したら、恋している相手を見つけて喜んで走り去ったのかもしれません。第2楽章では「ハンスとグレーテ」から引用された踊りの場面になるので、その可能性はあるかもしれませんね。

他の解釈としては、今まで延々と自身の恋について歌い、一時的に不安も現れる中、強引に吹き飛ばして全ての人生の春や恋が高ぶっていきました。感情が高ぶって「注意!」の音型も出てきたりする中、コーダではその高まった衝動(リビドーのような)が最大になったという見方もできなくはないです(やや説得力に欠けますが)。 「自然の春の目覚め」的な解釈では春に吹く風(春一番)とかでしょうが、若干根拠に欠けるのとクライマックス感がない気もします。

↓動画:第一楽章通し

まとめ

かなり膨大で複雑な内容でした。オマージュや自身の楽曲からの引用が大半でしたが、冒頭のベートーヴェンやベルリオーズらの世界から、提示部以降でマーラーの世界に引きずり込んでいったような印象も受けました。つまり、冒頭は歴代作曲家へのオマージュでしたが、提示部や展開部では自分の曲を使い、第四楽章が現れるところは再度オマージュ(既存の作曲家を打ち破れないかもという不安の表れ?)があるものの、再現部もほぼすべて自分の曲を使うというような、既存からの脱却偉大な作曲家への挑戦といった若さ(自己主張・自己顕示欲)の表れともみられると思います。

楽曲の構造はマーラー以前には無いようなソナタ形式を発展させた形をとっており、さらに主題も長大なものとなっていました。さりげなく色々なところに今後の楽章の断片が表れており、循環形式の一種としてみたり、あるいはこの第一楽章をオペラの序曲風としてみることもできるのかもしれません。それこそこの楽曲が「小説的に展開」する仕掛けなのかもしれません。

しかし、マーラーの友人だったナターリエ・バウアー・レヒナーによると、マーラーは交響曲第一番についてこう語っていたといわれています。「この曲はまだ何のこだわりもなく、実に怖いもの知らずに書かれている。僕は無邪気にも、これは演奏者にも聴衆にも分かりやすい曲だから、すぐに気に入られ、その印税収入で生活し作曲してゆけると思っていた。それがまったく見込み違いであることが分かった時の僕の驚きと失望の何と大きかったことか!」アレグロ・コン・ブリオより) マーラーはこの楽曲を「分かりやすい曲」といったのです。確かに作曲した本人にからすると、何回も聴いたり読んだり振ったりした曲や、自分が作ってきた曲からの引用の寄せ集めなのでわかりやすかったでしょう。実際にメロディーラインはシンプルな曲でしたから。しかし、ソナタ形式を大きく発展させていたり、そもそも第二主題が「朝の野原を歩けば」全部なんて誰が思うでしょうか。マーラーの楽曲を知らなければ一切わからないでしょう。天才の「わかりやすい」と一般の「わかりやすい」は、当時大きくかけ離れていたのかもしれませんね。あるいは、ブルックナーのような「宗教的な楽曲」に対して「俗人的で」わかりやすい、といったのかもしれません。

さて、今回この記事では、楽曲を調性や音の動き・構造等から解釈する読譜的解釈と、使われた楽曲から解釈していく人物(マーラー自身)的解釈を多少行ってきましたが、自然の音・カッコウの声・鳥の声等の描写から読み解いていく風景的解釈も可能だと思います。マーラーが何を考えて・何を求めてこの曲を作ったのかは、残されたマーラーの言葉とこの曲の楽譜しかありません。私たちがどう推察するのかは自由だと思います。どの説をとるか、あるいは各種の説を取り入れて包括的に解釈するかは指揮・演奏する方のセンスにかかってくると思いますので、この記事が指揮や演奏するあなた(や楽団)のお役に立てると光栄です。

参考

交響曲第1番 Wikipedia(日本語) / 交響曲第1番 (マーラー) Wikipedia(英語) / Symphony No. 1 (Mahler) Wikipedia(ドイツ語) / 1. Sinfonie (Mahler) Wikipedia(フランス語) / Symphonie nº 1 de Mahler Wikipedia(オランダ語) / Symfonie nr. 1 (Mahler)

Gustavmahler.com / Symphony 1 The Guardian.com / Symphony guide: Mahler’s First UTAH SYMPHONY / Mahler, Symphony no. 1 in D Major CHICAGO SYMPHONY ORCHESTRA / Program Notes CLASSIC FM / Mahler – Symphony No.1: When is a symphony not a symphony? Composer’s Toolbox / Meaning in Mahler Symphony No. 1 (Part 2)

さすらう職人の歌 Wikipedia(日本語) / さすらう若者の歌 Wikipedia(ドイツ語) / Lieder eines fahrenden Gesellen

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